今日は、ある製薬メーカーの依頼を受けて、骨粗しょう症に関する収録がありました。船津屋さんで行いました。今後、専門業者さんが編集をして、医師向けサイトの最大手の一つであるm3.com(エムスリードッドコム)で放送される予定です。1万5千人の医師の視聴が想定されています。
本日の収録では、大腿骨の骨折をテーマに解説しました。大腿骨骨折後は約半数の人で、歩行能力が低下していまします。その一方、大腿骨の骨密度が6%増加すると、骨折確率が40%減るという報告もあり、大腿骨骨折予防のために治療をすることの大切さを解説しました。また、重症の骨粗しょう症患者さんの具体的な状態を説明しました。
重症骨粗しょう症患者さんは
- ・背骨の骨折を2カ所生じている
- ・背骨の骨折が1つでも、つぶれ方がひどい
- ・腰骨の骨密度が若い人の平均値の60%未満
- ・骨密度が若い人の平均値の70%未満かつ1ヵ所の骨折がある
等が該当します。これらは代表的な例で、もっといろいろあります。
話が変わりますが、本日は七夕ですね。桑名市は晴れです。高校生の時に、「長恨歌」という漢詩を習いました。授業をまじめに受けていたわけではないのですが、この歌は好きでした。ここで紹介したいとも思います。「長恨歌」は中国唐の詩人白居易によって作られた長編の漢詩です。国語の教科書に登場するほどの詩ですので当然ですが、白居易という詩人も、その代表作である「長恨歌」も有名です。「長恨歌」は唐の玄宗皇帝と世界三大美人の一人と言われる楊貴妃を題材とした漢詩です。玄宗皇帝は在位期間が長い皇帝です。その在位前半は唐の絶頂期とされています。玄宗皇帝の治世時は自然災害も少なかったことも幸いし、国は穏やかで国力が充実した時期でした。しかし、後半になると徐々に国が乱れだし、楊貴妃と共に都を追われました。その途中で、国が乱れた原因が楊貴妃にあると怒っている部下たちに、楊貴妃を殺害するように迫られ、やむなく殺害しました。「長恨歌」は長い歌ですが、その最後が以下のようになります。
<最終節の書き下し文>
別れに臨んで殷勤(いんぎん)に重ねて詞(ことば)を寄す
詞中(しちゅう)に誓ひ有り両心(りょうしん)のみ知る
七月七日長生殿(ちょうせいでん)夜半人無く私語の時
天に在りては願はくは比翼(ひよく)の鳥と作(な)り
地に在りては願はくは連理の枝と為らんと
天長く地久しきも時有りて尽くるも
此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無からん
<現代文訳>
別れに臨んで丁寧に言葉を託す。
その言葉の中には二人のみ知る誓いがあった。
それは、七夕の日、誰もいない深夜、長生殿で二人だけで語った言葉である。
天にあっては比翼の鳥に、地にあっては連理の枝になりたい。
天長く地久しくも尽きる時ある。しかしこの恨み(想い)は絶えることはないだろう。
【注釈】
・比翼の鳥・・・・雌雄二羽が翼を連ねて飛ぶといわれる伝説上の鳥
・連理の枝・・・・根や幹は別々だが、枝の部分で一つに繋がっている伝説上の樹木
玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛がどのようなものであったかは知りませんが、素晴らしい最終節だと高校生の時に感動しました。
長恨歌の中に“華清の池”という温泉地が登場します。“華清の池”は、始皇帝陵の近くにあります。始皇帝陵を見に行くときには、バスで10分程度の場所のため、一緒に観光することが多く、大学生の時に観光に行きました。詩で知った場所に実際に行った時には不思議な感じがしましたが、立派な観光地で多くの外国人がいました。
2024年大河ドラマは源氏物語が題材になります。私は源氏物語が好きですが、ここでも長恨歌で使われているフレーズがしばしば登場します。そのことから源氏物語の作者である紫式部は、唐の文学に精通していたことがよくわかります。当時は男性社会でしたから、こういった時代に漢文に親しみ、長編物語を書き上げる紫式部の才能や苦労・努力には尊敬の念が尽きません。1000年後に自身の作品が大河ドラマになることを予想はできないでしょうし、紫式部は女性の社会進出の先駆けとなり女性が不十分かもしれませんが社会進出を果たしている世の中を喜ばしく思っているのではないでしょうか。私の源氏物語愛について、また、機会があれば紹介したいと思います。
長文、駄文、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。